「令和の禁酒令の」の先、が語るものは?

 本日は、5月5日以来の25日振りに合気道の稽古に参加した。そのあとで、仲間と餃子屋さんで飲んできた。生ビール中ジョッキ2杯、獺祭という日本酒を一杯(150㏄)だった。酔いはあまり感じなかったが、それなりに楽しい時間だった。昨日までの3日間は、赤ワイン(アルコール14度)を200㏄くらい毎日のんでいる。これでは大酒家ではないとしてもアルコール依存であることには違いない。
 「人生の寂しさと短さを酒なしで味わおうと思った」
 町田 康さんが、「しらふで生きる」という本で上のように書いているのを読んで痛く感心した。真似してしばらく禁酒したりした。節酒ならと「ひとり酒」を止めることにしたが、これも長くは続けられずに隠れての一人ワイン、焼酎も飲んだりしている。思い切りの悪い男である。
 さて、本日の朝日新聞の「耕論」では、<「令和の禁酒令の」の先>という特集を組んでいる。「飲むか否かは自分で決める」(町田 康さん)、「不平等という副作用」(岡本 勝さん、広島大学名誉教授)、「人と人をつなぐ酒場 再び」(尾畑留美子さん、「真野鶴」五代目蔵元)のお三方へのインタビュー記事だ。
 岡本さんは、「禁酒法」の専門家なので、そちらの観点かの解説だ。尾畑さんは、蔵元だから、「酒はもともと神とつながるツールでした」なんて冒頭に言っている。

(更新予定)